AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する

DREAM1 〜月見野原の雫

モドル | ススム | モクジ

 

  プロローグ 〜春の始まり  


 なんの変哲もない住宅街を、穏やかな風が吹きぬけてゆく。流れくる空気は、月明かりに照らし出され、微妙な虹彩をはなっていた。
 鞠香は頬杖をついて、ぼんやり眺めていた。
 沈丁花かなぁ。いいなぁ、早春て感じ。
 肺いっぱいにその匂いを吸い込む。雨後の生暖かい湿り気がかえって嬉しい。そんな夜の沈丁花は、常春へ向かう日本列島一番乗りの匂いだ。ワクワクする。
 今夜は聖美とあずさの同時進学祝いだった。中学からのクラブ仲間が集まっている。というより、いつものご近所が、いつもの女子トークを繰り広げているだけに過ぎない。鞠香を数えると六人になり、なにかある度に集まっては、善きことも悪きことも共にやっつけてきた。
 これもこの家へ入ってからの環境で、今まで下校後は一人部屋に閉じこもっていた鞠香にとって、かけがえのないものだった。この仲間こそが、繋がる楽しさや救いを教えてくれたのだ。
「玲子は……芯の強さを糧に努力を重ねるタイプ。自分が大切にするぶん、自分も大事にされる。おぉいいじゃん」
 鞠香の横では、玲子とあずさが占い雑誌に夢中になっていた。ポピュラーな星占いに始まり、質問に答えていって合計を出す、女の子にはお馴染みのアレである。
「じゃあ、あずは?」
 あずさが、自分の点数を足して結果を指で追う。
「えぇーと……天真爛漫で喜怒哀楽が激しい人、だって。なんかただの馬鹿みたいじゃん」
 玲子が吹き出す。どうやら思い当たる節があるようだ。
「なんだよぉ、失敬な」
 フグほど頬っぺたを膨らませたあずさは、不服を言うが早いか、もう次の筆算を重ねている。
 机の向こうからは、聖美の将来設計を右耳で聞いてやりながら、片耳ではでこちらのやりとりを聞いていた蘭子が、あからさまな呆れ顔を向けていた。
 どうやら聖美の将来設計とは、いつ玉の輿にのってもいいようにステイタスのある職場で働き、もちろんその間はガッポリ儲けようという事らしい。進学もその旨を充分考慮したとのことで、こんな人生に全力で取り組めるのは彼女ぐらいなものである。向こうでは占いなんて非現実的なもので一喜一憂しているし、あっちもこっちもという腹らしい。
「ねぇ私は?」
 歩美が結果を促す。
「うーん、物静かで慎重派だが頑固な一面もだって」
「頑固っていうのは一言余計だけど、まぁまぁね」
「うん、あーちゃんって時々妙に頑なだよね」
「そんなことないですよーだ」
「ほらほらほらー」
 玲子とあずさが交互にからかっている。
 東京で過ごしていた歩美も、春休み早々に泊まりにきていた。長期休暇は山田家で過ごすことが多いが、向こうの家族とソリが合わないとか友達がいないというわけではない。歩美とて、この面々といると楽しいのだと言う。
「ねえ、永遠の愛ってどう思う?」
 占い組のあずさが、突然振ってきた。
 ついさっきまで性格診断で沸いていたのに、いつの間にそんな話で盛り上がっていたのやら。開いたページからは、前世がどうのと怪しいゴシップが見え隠れしている。
「永遠ねぇ……」
 しばし遠くへ思いを巡らせ視線を泳がせてみたものの、すぐに弾んだ声で返す。
「してみたぁーい! ドラマティックじゃない、あなたに会うために生まれてきたってさぁ」
 デッサン狂いの人物像のように、大きな目を輝かせ、ふやけ顔の鞠香が歓声をあげた。現実の恋には疎いが、非現実の恋には敏感なのだ。
 即座に、にべもない異見が出る。玲子だ。
「それって、オギャーって生まれた時から相手が決まってるんだよ? どう頑張っても、用意された線路の上しか走れないんだよ? そんなの嫌じゃない」
「でもさでもさ、すごく好きになった人が『君をずっと探していたよ』とかってさ」
「ない、ない、そんなこと。歯が浮くわ」
 水をさすように蘭子。しかも手振り付き。
「えー、前世でなにか訳があって添い遂げられなかった二人が、時を越えて出逢ってさ、今の世を幸せに幸せに生きるの」
「相手が王子様だったりしたら、ロマンティックよねぇ」
 夢見る乙女の歩美が横槍を入れるが、
「そしたらロイヤルファミリーよ、望まれて結婚して玉の輿! いいわぁーん!」
 さらに検討違いな台詞が舞い込む。もちろん聖美だ。
 諸国の妃だって、とても苦労しているわけだが、不思議とそういうところへは及ばないらしい。
 おかげで大騒ぎだ。歩美と聖美にかかると、王子様話はどんどん明後日の方向へ逸れてゆく。それも互いに、話が噛み合っていないときたものだ。
 言いだしっぺのあずさはというと、論点がずれてきた議論などさっさと見切りをつけ、もう菓子袋を片手に続きをめくっている。この手の議論が日常茶飯事だというのを、よく物語っている証しともいえよう。まるで知らんぷりでポテチをバリバリいわせている。
 いつもと同じ時間、なにより安心の時間。窓の外を、春先特有の期待をはらんだ風が走り抜けてゆく。
 公園でふくふくと膨らむソメイヨシノ。その色を写しとったかのような春抄の風。部屋では温かい話し声、風に音をならす窓……。
 ガタンッ!
 不自然な音に部屋中が静まり返った。
 勢いつけて窓が開く。出窓が観音開きに、それも外へ向けて勝手に開くなどあり得ない。
 レースのカーテンが風に揺れて、鉢植えが夜気を旨そうに吸っている。なんら変わることのない、いつもの窓辺の光景が居座っている。
 鍵がなぜ?
 鞠香が声に出すのも忘れて、頭の中で呟いたその時である。
 眩暈のように視界が歪む。旋風が巻き起こり、叫び声もろとも区域限定の渦に呑み込まれた。すべてが回る。貧血などでは決してない。
 なに、これ……!
 引き寄せられるように飛びこんだ桜のひとひらも取り込んで、烈風はそのまま渦を巻いて天竜のごとく立ちのぼってゆく。ごうごうと轟く風の音に抗う術もなく、体が吸い込まれる。
「いやっ! 助けて!」
「掴って!」
 玲子が、空をかく鞠香の手と重ねようとした。だが差し出された腕ごと、いとも簡単に呑まれてゆく。
「きょんちゃん! きょんちゃんッ!」
 助けを求める叫びも、恐怖の呻き声も吸い込まれてしまう。なにも届かない、すぐ階下にいるはずの両親にさえ届かない。風は吹き荒れ、どんどん大きくなる。
 鞠香、鞠香を助けようとした玲子、その二人を助けようとした聖美。その体内に一人一人を確実に呑み込んでゆく。この部屋だけの、まさに神隠しだった。
 巻いた渦の中に不自然に捩れた黒いもの、触れると柔らかそうな不気味な穴。まるでブラックホールのような無の闇。
 どんどん膨らんでいく跡には、高くか細い声と、空気の振動だけが長く尾を引いていた。
 レースのカーテンが夜風に揺れている。飲み食い騒ぎの跡だけが取り残された。

 ものの数秒で起きた意味不明の風。見えるはずのないものは、こうして何の前触れもなく底なしの恐怖と共に始まったのだった。

 

モドル | ススム | モクジ

Copyright (c) 1981-2009 MARICA All rights reserved.

 

-Powered by HTML DWARF-