たいとる
昔、あたしは人魚だったのかもしれない。
かすかに記憶に残るあお…い、碧いブルー。気の遠くなるようなあお。創世記の色。
神様がお創りになった最高の色彩、ほしの色。まるで地球上のあおをぜんぶ独り占めにして閉じこめたような処……宇宙のあおも吸い込まれてしまうほど切ない色した夢の国をちゃんと覚えてる。
……あたしは何処から来たの。
生まれた時にはわかっていたのに、だんだん忘れていってしまう。そこは何処なの。
遥か太古の昔、生物は水の中で暮らしていた。そして三億年経った今でも人類は母体の胎内で水に育まれている。それはかけがえのない生命の営み、決して忘れてはいけないこと……。
子らよ、すべての神を讃えよ、そして感謝せよ
このすべての創造主を祝せ
もし、これを忘るれば
大地は枯れ
天空は雷に
海原は干してしまうだろう
そして子らは今日も祈りを捧げる。
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「伊邪那岐命、ありましたよ。これであの子達をやっと」
女神の視線を受けて七色に輝く小さな小さな孤島。紺碧の波がそっと風をしのばせ、潮流は豊かな恵みをはるばる運んでまわる。
「あそこは私達にも思い出深い処だね」
「そうですね、初めて夫婦となった処ですものね」
寄り添う二神さえもあおに融けて滲む。すべてはそこに還るのね。
子供達は今日も祈りを捧ぐ。
あぁ、感謝を。すべての創造主へ感謝を…我々を創り給うた神々を讃えよ。
まるで混沌の中に一筋の望みを見つけ出したかのような晴れ晴れと光り溢れる笑みをたたえた妹背神が、その準備をウキウキと進めていた。
「まずは御使いをやりましょう」
いかにも嬉しげなるその一言に男神は苦笑する。いいのだろうかと。皆の驚き困惑する顔が目に浮かぶようで、これはまた恨まれそうだなと考えずにはいられない。でも例の事件からこの方、どうも妻には頭が上がらない男神であった。
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外はあいにくの雨模様で、細い絹糸のような雨が朝からしとしと降り続けている。
チェリィはそんな景色を母樹である桜のうろから半ば無意識でぼんやり眺めていた。
湿り気を帯びた大気が、やんわりと森の中を煙らせている。
「まいどー」
間の抜けた声を聞いたその瞬間、チェリィは鋭い悲鳴をあげて後ろへ飛びすさった。
朝起きてからずっとこの家の中にいるが、自分以外は誰もいないはずである。チェリィはよくよくその声の主を観察すると、再度声をあげて後ろずさった。
「なんやぁ?! 態度悪いお嬢ちゃんですなぁ、わし腹立ちますわ!」
「だ、だ、だって蛇が蛇が……ごめんなさい」
声の主は、それはそれは気分悪そうに長い舌を震わせていたが、素直に謝罪するチェリィにまぁ気を取り直す。文句を所々交えつつではあったが用件を述べ始めた。
「神の御使いは昔から白蛇と決まっとるんや。まったく最近の若いもんはこれやからあかん。まぁえぁわ。伊邪那美神から伝言があるんや」
それを聞いたとたん、チェリィは腰を抜かしていたのも忘れて飛び起きると、またもや失礼なことに御使い殿の首を両手で鷲掴みにして激しく揺さぶりながら大声で叫ぶ。こんな珍しいことはなにか善き報せに違いない。
「なになになにーー?! なにかあったの?!」
「くっ苦しい……苦しいでんがな、もう!」
白蛇は体いっぱいに空気を吸い込むと、弾け飛ぶようにして、力んだ彼女の手から怒りの脱出。そのまま勢い余ってうろの中をあちこち衝突させながら跳ね回った。
これが神託を伝えに来たのでなかったら速攻で帰ってやるところだったが、誇り高き御使いは仕事第一だったので、とっとと終わらせてやるとばかりに話をすると、あっという間に消えてやったのだった。
まったく最近の豊葦原のもんはなっとらん……ブツブツ。
お小言だけがうろの中に響き渡ったが、それも徐々に消えて聞こえなくなってゆく。
今度は、樹が鬱そうと生い茂るなにやら暗い森の中であった。湿っぽく生暖かい空気がそろそろと蠢き、なにやらオカルトチックであるが、御使いは何も気にすることなく神から頼まれた通りの村に向かって一直線に飛び続けた。
「まいどー」
少しは懲りたかと思いきや、前回と変わらぬ登場である。
しかし今回は、少し驚いたものの蛇自体を恐れる風でもなく温かく迎えられ、御使いは満足そうに事を告げた。
「そうですか、分かりました。それで彼女は……チェリィは元気にしていましたか」
「あんさんみたいな堅気の人がなんであんな娘御のことを気にかけはるんや。あんな跳ねっ返りはもうこりごりでっせ」
それはそれは辟易したという風に舌を震わせ力説する白蛇を見てドーンもたいがいの検討はつく。はっきり元気だと聞かなくても、もう後は目に浮かぶようだ。
「よかった。チェリィ」
うつむいて瞳を閉じ、真剣に喜ぶドーンを横目に、白蛇はまた細い舌を出したり引っ込めたりしてとぐろを巻いた。
「チェリィは口は悪いけど、本当はとても繊細な優しさを持った子なんです」
「ひゃぁ、あつあつ。白蛇が赤蛇になりそうなオノロケですなぁ。まぁどうでもええわ、あんなやかましいの。久しぶりの再会に感動のあまり、絞め殺されんようせいぜい頑張りなはれ。ほな」
熱く語るドーンなどまったく信用せず足取りも軽く消えてゆく。よほど御使い蛇の好みではなかったのだろうが、跳ねっ返りの良い例である伊邪那美神の尻に引かれる男神を間近に見ているのだから仕方ないともいえよう。
わてやったら、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花っちゅう大和撫子がええなぁ、やっぱりおなごは一歩引いて男を立てんといかんわなぁ。
次なる目的地に向かいながら爬虫類特有の離れた目をにんまりと細め、いやらしい笑みを浮かべたが、果たして蛇にそんな標語の意味があるのかは謎である。どうせ伊邪那岐神のぼやきでもさんざん聞かされたに違いない。
「まいどー」
もうよしておけばいいのに、まるでバカの一つ覚えみたいに同じ登場法で時空間から顔を出す。
今回も例に漏れずたいそう驚かれた。しかし今度ばかりは御使い蛇の方も運が悪い。
テラスの塀に腰掛けて皆のことを模索するアルテナ王子の、股間から出現してしまったのだ。
アルテナは股の間になにかヌルヌルしたものを感じて目をやったとたん、目玉が落っこちてしまいそうなほど見開いて、男だてらに悲鳴なんかあげてしまったのである。
「ありゃりゃ、すんまへんなぁ。王子の大事なとこから出るとは夢にも思いませんでしたわ」
あくまでも軽い。インテリのくせに、世の中軽く泳いでゆくのが信条のようである。
「何者だ」
「はい、わては伊邪那美神の勅旨を伝えにきましたんや」
「女神の?」
王子は訝りながらも御使いに菓子を出し、ゆっくり話を聞く態勢をとる。
とりあえず菓子を出してくれたということで、やはり桜の精霊宅が一番待遇が悪かったなんぞと考えながら御使い最後の伝言を報せた。
「やったぞ……!」
アルテナは、この世界全体が見渡せるバルコニーから大手を振って歓喜の声をあげたくなる衝動を抑えるのに精一杯で、白蛇が早くも帰途についたことにさえ気付かない。
蛇の方も王子の震える喜びなんぞまったくの興味対象外。さっさと最後の報告をしに帰って行ってしまったのだった。
やれやれ、さすが伊邪那美神のお知り合い。わてには合いまへんわ。
つむじ風の向こうに広がる時空の狭間に、御使い蛇の小言だけが細々と残された。
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