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DREAM1 〜月見野原の雫

モドル | ススム | モクジ

 

    


 静寂を取り戻した空間は、風の音がさらさらと木霊し、立ちすくむ玲子の耳元をおどけるようにくすぐってゆく。
 緊張を隠してバルコニーに出てみると、想像もできないほど果てしない海が広がっていた。澄みきった深い瑠璃色。深いふかぁい海の色。水平線は薄くぼやけ、そのまま天色の空を持ち上げている。憂いを含んだ潮風が心地よい。
「うあぁ……」
 ゆるやかに寄せて返す波は、陽だまりの予感がする。波頭は光を受けるとキラキラ光って、みんなと一緒なのに不安だらけの奥底で深く反芻した。
 わかってる、不安なのはみんな同じなんだ。
 いったい何が原因でこうなったのか、それよりも突発的なこの信じられない出来事は現実なのか。その判断さえままならない。
 不意にいきなり背後から抱きすくめられ、玲子は言葉を失った。とてつもなく切なそうな声が、身体中を瞬間冷却させる。
「玲子……」
 頭のなかで張りつめていたものが、ぴーんと切れて弾け飛ぶ。
 なにがどうなのか全然わからないけれど、すでに始まってしまったことは確信できる。いや、無理にでもしなければならなかった。
「会いたかった」
 アルテナは、硬直する玲子から身を退いた。受け止めてもらえないことは承知の上である。
 泉に通い続け、異世界の少女達ののびのびとした日常に触れるたびに、逢ってみたいという気持ちが強くなっていった。物心つく前から肉親と離され、国を統治するためだけの教育を受けて育った。今では肉親が生きているかすらわからないし、また調べようもないのだ。
 従者や乳母を始め、民にも愛されてはいたが、それでも寂しさを感じずにおれない窮屈な生活。けれど王族にありがちな孤独や絶望の底で成長したわけでもない。愛され、ごく普通に健康的に過ごしてきたはずなのだ。大人と言って差し支えないほど成長した今頃、どうして独り、森の中で異世界の少女ばかりを見ているのか。生来根明な本人とて納得のいかないことではあったが、何が原因か、不思議と惹かれて焦がれて止まなかった。
 見ていてわかる。その内底に秘められたせせり立つ光の筋、濁ったところなどひとつもない強く輝く光。いつも何かを探していた自分。どうしようもなく魅せられた。触れてみたかった。勝手は承知の上だ。逢えた喜びと同時に、いつ別れるかわからぬ不安も大きい。
 いつもは夢をたたえた強い瞳が、崩れ落ちてしまいそうな玲子をとらえ薄く光っている。
「なんてね。ごめん……みんなの所へ行こう、案内するよ」
 アルテナは笑ってみせた。
 もとより大きくはない体をさらに小さくして、しわくちゃの顔でうつむく玲子の手を取って思いっきり宮殿を蹴った。
「すごいっ! すごいアルテナ!」
 アルテナが床を蹴って飛び上がると、あっと言う間もなく風に乗って空を舞った。
 恐怖より驚きが支配する。泣き出す隙もなく新しいことが流れ込んでくる。
 大輪咲きの朝顔のような笑顔を咲かせる玲子に、アルテナはめいいっぱいの笑みを投げかける。
 「Welcome to FantasyWorld!」
 子供の頃、胸をときめかせた永遠の子ピーターパン。明色の笑顔に、玲子もとびっきりの輝きで応えた。
 二人の遠くを、真っ白な翼を広げたペガサスが群れで渡ってゆく。風をきる音が耳元まで届き、雲は眼下に、薄くたなびいて地上を透かす。遥かに広がる日本の風土を感じさせない鮮やかな森と草原、その間に点在する小さな湖。うねり続く河は、眩しい光の海まで続いている。

 その後、騒々しい異世界ツアーとなったのは言うまでもない。もう世界中の喧噪を一緒くたに丸めた騒ぎっぷりだった。今まで空想の産物と言われてきたものが、そこかしらにいるのだから大騒ぎも致し方ない。
 乙女だけに心を開くといわれる一角獣、永遠の命を傍観する不死鳥、細工の得意なノームや気まぐれな妖精、それどころか本当にドラゴンまでいて、その種はもう数え切れない。それがまたアルテナが通ると聞けば、わざわざ物影から出てきて挨拶してくれるのだ。その度に六人の顔が喜んだりびっくりしたり、めちゃくちゃな百面相をしている。
「ごきげんよう王子、お客人」
 アルテナもそれらしく 「やぁ」 とか 「あぁ」 とか言っている。この話を聞いた時は、異常ではないかと思ったが、なかなか逞しくて格好いいではないか。その横で、みんなもいっぱしの上客きどりで鼻を鳴らし胸をはって行進した。気分は、最高の最高の最高だ。
 これ以上なにも出ないだろう夢の時間を満喫したのに、アルテナ王子ときたら、まだ夢のようなことを話す。
「まだまだ一部を案内しただけさ。それに今夜はちょうど満月だから、バルコニーに出てみるのも悪くない」
 皆の頬に朱がさす。すっかりその気だ。
 帰城すればちょうど風呂が沸いていて、さっそく案内してもらって夕食前の一服。こう気が利いていると、ファンタジーワールドという遊園地にでも遊びに来ている気がする。飛行機に乗ればすぐに帰れそうだ。
 湯あみの間へ行こうとする玲子を、アルテナが呼び止めた。
 密やかななほんの一幕だったが、鞠香は見逃さない。なぜなら、この二人が発信源のインスピレーションを感じたからだ。それはインスピレーションと言うぐらいだから思いつきで、単なる直感でしかないが、鞠香はこの類をめっぽう信じる性質なのだった。
「ごめん、玲子。ちょっとだけだから」
 心の中で手を合わせ、簡単な謝罪を済ませると、廊下の壁に身を寄せて辛抱強く成り行きを見守った。
 二人は埃っぽい午後の光を受けて、広場になっている向こうで沈黙を保っている。少し妖しげな雰囲気だ。
 やがてアルテナが話す声が聞こえて来た。それはどこか苦しそうで急くようだった。
「さっきはごめん。勝手とわかっているけど、すっかり忘れて。どちみち玲子とは別れなければならない、それならいい思い出を残したいんだ。けど少しだけ、どうしても聞いてほしいことがあるんだけど……」
 アルテナは言葉を切って、玲子の反応を見た。
 玲子はというと、顔面に無理な力を入れて精いっぱいほほえんでいた。
 急なできごとに手も足も出ないところへ、その気遣いが嬉しくてたまらない。こんなことを喜んではいけないと良心の呵責も感じるが、妙に感動してしまって、どうにも勝手に心が膨張していくのを止められない。
 様子を窺っていた鞠香も、もうすっかり事態を把握し、立ち聞きしてしまったことにひどく罪悪感を感じながらも、目の辺りがぽぉっと熱くなっていくのに戸惑っていた。
「俺は幼い頃からずっと誰かを探していた。別に悲壮感漂うほど寂しかったわけではない、けれども気がつくと探していた。一緒に笑い合える誰か、繋がっていける誰かを。その人達はバラバラに時空を越えて存在しているかもしれないし、時代が違ったり会えないのかもしれない、それとも既に一緒にいるかもしれない、とにかくなにもわからないんだ。
 ただ確かなのは、絶対どこかに存在しているってことだけ。そして泉に映っている君に逢ったんだ。感じるものはあったが、そんなもの、生身の玲子に逢うまでは信じられなかったよ。だけど逢った時、いきなり確信したんだ。そして一瞬、一瞬、今もずっと確信しつづけている。それにまだ、一緒に来た中にもいる気がする。今この時でさえ、逢える瞬間に近づいているのがすごくわかるんだ。俺は嬉しいんだ、ありがとうって言いたいんだ。だから楽しくいたいんだ」
 それだけを言うと、玲子が返事をする間もなく、回れ右して走った。振り向けば耳まで真っ赤になっているのを見られてしまうから。その瞳が濡れているのに気付かれてしまうから。王子はいかなる時もクールに装うものなのだ。そう教え込まれて育ったアルテナには、これが精いっぱいの感情表現だった。
 水のあわが、心の奥から湧き上がっては弾け、を繰り返す。優しい気持ちが、ふくふくと湧き上がり、うずを巻いてふくれてゆく。
 背後から覗き見ていた鞠香も、同じ想いに心をふくらませていた。
 よぉし、景気づけにいっちょやるかぁ。
 鞠香は頭の中で叫ぶと、膨張しすぎで爆発しそうな気持ちのうずを、懸命に鎮めながらそぅっと玲子に近づいていった。そうして、まるで心の爆発音のように耳元で 「わっ!」と怒鳴った。
 玲子は 「ぎゃっ!」 と奇妙な声をあげて振り返ると、思わず後ずさった。
「お、お、お風呂に行ったんじゃなかったのぉ?! 行ったんじゃないってことは……つまり……見てたなぁ?!」
 腰に手を当てて、めいいっぱいふくれっ面をしてみせる。
「えっと、えっと……えーん、ごめんなさいっ!」
 見つかって怒られる先まで考えていなかったと、鞠香がぶたれるのを覚悟で手を合わせ、固く目をつむる。
 玲子は思わず吹き出した。拝まれても仕方ないのだ。
「そのかわり、内緒だよ」
了解(ラジャ)!」
 鞠香が元気よく敬礼すると、玲子もにっこりとそれを真似て返した。
「ねぇ、まぁ。バルコニーに出てみない? すごく綺麗なんだよ」
 言いながら重厚な扉を開くと、誰もいない。
 誰一人とて、身を案じて待ってくれるわけでもなく、さっさと行ってしまったらしい。果たして欠員がいることに気付いているのだろうか。どこの世界にいようが、どんな不思議に出遭おうが変わらない。みんな一緒だと、こんなことで確信する。
 玲子が苦笑して振り向くと、鞠香もお手上げとジェスチャーを返す。
 情け容赦ない友人がいなくなった部屋を縦断し、いざバルコニーへ出てみると、夕暮れに染まった海が、満々と水をたたえ腕を広げていた。
「わぁぁっ……さいっこう!」
 鞠香は生まれつきのどんぐり眼をさらに大きくして声をあげ、やがてとろりと夢見るように「ほんとに最高だよ」 と、髪をなびかせる玲子の横で呟く。恍惚の表情だ。
「さっき、アルテナ……泣いてたよね」
 朱色からだんだん桔梗色に変わってゆく海面から、目を離さず玲子がきりだす。鞠香も頬杖をついたまま目だけで返す。
「変に気をもたせて苦しめるよりはいいんじゃないの? それに……」
 言いかけてニヤニヤしながら、向きをなおした。
 沈みゆく陽を受けた身体の端が、もう影を作っている。
「あの人前ではクールな王子が、玲子にだけ見せた涙は、玲子だけの尊い宝物さ」
 そうなのである。微妙な変化はあっても、どこか冷めた風に装っていたアルテナだったが、玲子の前では少年っぽく見えた。
「そ、そうかな。でもそうだね……これからなのに、しっかりしなきゃね」
 強い口調で空を仰ぐ玲子に、鞠香は目を細めた。自らを鞭打つ玲子。華奢な身体で、脆そうで、でも強い。
 いつもそうだ。玲子はいつも前にいる。同い年だというのにしっかりしていて、彼女を前にすると幾つも年下に思えてしまう。
「好きだよ、玲子……」
 言ってしまってから照れまくる鞠香に、玲子もとびっきりの笑顔でこたえる。
「私も、まぁがだぁい好き」
 爆発したはずの心のあわがまた、ぼこりぼこりと湧きあがってくるのを感じながら、互いの顔を見合わせた。
 どこからともなく笑いがこみあげてくる。とうとう耐えられなくなって、おしまいには揃って盛大に吹き出してしまった。
 大声で笑いあう。 手を伸ばせばすぐ届く所にいる玲子に、鞠香は黙って思いっきり感謝した。
 不安でいっぱいのはずなのに、こんなに気分爽快なんて変だよね。ありきたりな台詞だけど、でもほんと、玲子やみんながいるから寂しくはないね。私、こういうのも幸せなんだと思う。幸せだもん、まだまだ大丈夫。頑張れる。
 涙が流れるまで大笑いしてふざけあう玲子と鞠香の背後で、ひょっこりと丸い月が山の端に顔を出している。
 夕闇のグラデーションもだんだん暗くなってゆくおとぎの国。ジャスミンに似た香気が、月華の下をたゆとう。淡い海風が二人の髪に涼を運び、火照った身体を冷ました。
「実はさっきのね、アルテナの <探し人> の話、私も似たようなことを考えてた。それにアルテナを見た時、私もインスピレーションを感じたんだよ」
 玲子がふざけながら、ぽろりとこぼす。
「えー?! 私も、 私もだよぉ!」
 二人はビックリ眼で向きあったが、やがて海へと向きなおった。満月が波間で、不安定に揺らめいている。
「同じ想いを、みんな抱えているんだね」
 玲子のつぶやきに答えようと、鞠香は息を吸い込んだが、そのまま発声するより先に 「あわわわ」 と声にはならない声で空を指差すこととなった。
 玲子がビックリして仰ぎ見るが、彼女とて目が離せなくなってしまった。
 藍紫色に彩られた夜空の合間に散りばめられた、光のかけら。

 その頃、湯あみの間でも同様に、温く湿った空気がどよめいていた。全員揃って、中天に釘付けである。
 湯あみの間はいわゆる露天風呂になっていて、湯気のさらに上を、煌めく星空が彩っている。そこをめがけて一千億もの星が、矢のように降ってくるのだ。流星雨の中を縫うようにして、螺旋を描きながら舞い降りてくるものがある。それが地上へ届くとまたもや声があがる。童話に出てくるような五角形の掌サイズのお星様だ。
「すごい、 なにこれ!」
 聖美が手に包むと、小さな星はちらちら瞬き、溶けた。
「ちょっとぉ、科学的にいうとこんな形は有り得ないよ?」
 蘭子はまじまじ見つめ、けれども昼間とは違って嬉しそうに頬をつねり、さすが好奇心の塊のあずさは口に含む。
「甘い! ドロップスかなにかみたいっ」
 一つ、二つと、口腔で音をたてて崩れていく。他のみんなもあずさにならい、次々と星を口に入れる。
「ほんと! おいしい!」
 歩美が瞳を見開き、頬を紅潮させる。
 そこへ玲子と鞠香が、息をきらせて乱入してきた。
「食事の用意ができたってさ」
 裸足なので濡れることも厭わず駆け込む。湯気が生暖かい。
「どこへ行ってたの?」
 今更な問いかけに、玲子と鞠香はそっと目と目で合図して声を合わせた。
「な・い・しょ」
「あぁーっ、なんかやらしいぞー」
 真っ先に聖美とあずさが反応し、ゴシップ好きの蘭子も加わり、取り残された歩美はいつものように笑って見ている。すっかり元通りだ。
 どうやらこの面々、思ったより強靭な精神の持ち主のようである。といえば聞こえは良いが、本当は少々鈍いだけかも知れない。
 とりあえずアルテナの心尽くしが見事に当たったようで、良くも悪くも日常に戻って本領発揮。おかげで入浴後の食事は、ガラの悪い団体客を思わせる騒ぎっぷりだった。
 たびたび泉に通いながら、いつか出逢う時を夢見てきた王子を、大いに楽しませたのは言うまでもない。
 宮殿が賑やかだったのは久し振りで、遠い山向こうのドラゴンまでが、王子の心底楽しそうな笑い声を聞いたという。

 こうしてどうにか地球の夜はやってきた。不思議な不思議な夢の国。だけどここは地球のはず。誰が創ったのか、なんの為に創ったのか。地球の裏側、それともここが表側? 私達の知らない、地球のもう一つの顔。ここはパラレルワールド? それとも私達の世界がパラレル?
 あわがふくふくいって弾けて、どんどんうずを巻いていく。
 私達はいったいどこへ? 心配ないよ、大河は海を目指して流れるものだから。迷わないよ、いつか海原へ出るのは分かってるから。
 星降る夜の華馨が城をまるごと覆って、上空ではまだ流星雨が降り続け、その合間で掌サイズの甘い星がスパークしていた。

 

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