Chapter2:回転パズルの国・MarchenWorld
う…ん、うるさいなぁ……。
鞠香は薄目を開けて、いつもより大量に降ってくる朝の光を吸い込んだ。
鳥がやたら大勢で鳴いている気がする。それは華やかなさえずりで、ここに住んでいれば目覚まし時計など不要の長物であろうと思われるほどだ。
あれ……? ここは……?
人一倍寝起きの悪い鞠香は、まだ覚醒しない頭でぼんやり記憶の糸を手繰ってみる。
なんだってこんな野外で寝ているのだろうか。なかなか目覚めない脳みそに、まばゆい陽差しと朝もやの森林に吹くそよ風を受け止めながら、やっと昨日の不可思議な事件を思い出す。
昨日の夜はたしか、天蓋つきベッドでご機嫌な眠りについた…はず、なのに?
おかしいなぁ、なんでお城じゃないんだろ。
よっこらしょと、いかにも重たげに体を起こしてみると、そこはまた森だった。白っぽい光に反射したもやがなんとも幻想的な、まるで守神でも祀られていそうな深い森。
その地面に直で寝ていたせいで、背中がひどく痛む。急いで皆を確認すると、なぜか今度はアルテナも一緒に横たわっている。
どうして? どういうこと?
誰に向けていいかもわからぬ怒りがわき上がってくる。
これでは姿なきものにもて遊ばれているとしか思えない。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。そんな恨まれるような悪いことをしただろうか。
そりゃぁ昨日は、もうちょっと滞在してもいいかな、なんて思っちゃったけどさ。けど勝手にしてもらっちゃ困るんだからね。ったく、急に戻ったらどう説明すりゃいいわけ?!
警察に行方不明などと届け出られているかもしれないし、集団神隠しなどと野次馬的見解を噂されているのかもしれない。それらの後始末をどうすればよいのか、こんな嘘みたいな話を誰が信じてくれるのだろう。下手すれば全員揃って、なんとか生物研究所に送還されるかもしれない。
鞠香は頬を丸々とふくらませると、腹いせにちょうど前にあった桜の木に思いっきり振りかぶった。見事怒りの鉄拳が命中した証に、鈍い音がしたかと思うと、拳に結構な痛みが走った。
「なにすんのよ!」
いきなり威勢のいい罵声。周章狼狽して見ていると、殴りつけた木から少女が浮かび上がるではないか。十歳前後といったところか。
鞠香だけではなく、全員しばらく茫然自失であった。
「寝てたのにぃぃぃ」
少女はたいそう憤激して身構え、今にも飛びかかってきそうである。
それもそのはず。うとうとと幸せな夢の余韻にひたっていたというのに、突然力の限りに不意打ちを喰らわされたのだ。鞠香の方も、よもや木から子供が飛び出してくるとは思わず、あらん限りに拳骨をお見舞いしていた。
「あんた達、朝っぱらからなによ!」
頭のてっぺんから火を噴かんばかりに怒り狂った少女が、語気も荒く問いつめる。
くるくる動くまん丸の眼尻は上がっていて、一見きつそうな印象を与える。よく観察してみると、ほんのわずかに耳が尖っているが、出現法からしてやはり人間ではないのだろうか。耳が尖っているのは、妖精の専売特許ではなかったか。
「もう何を見ても驚かないからね」
腕組みして既に呆れている蘭子が、ズズイッとせり出して少女に説明を迫る。
「あんたこそ誰さ、何者さ」
わずかに驚いた顔が現れる。
「あたいは桜の精霊チェリィ。どうやらあんた達、異邦人みたいだね」
思いがけない発言に、一同は冷や汗ものだったが、気を取り直して自己紹介しようとした鞠香の言葉をアルテナが遮る。今は言えないから国について教えてほしいと、またもやクールに言うが、順当な意見ではある。
「気味悪いなぁ」
歯に衣を着せぬ子供らしい言葉が出る。ナーバスになっている心には、そんな少しの物言いも鋭利な刃物のように突き刺さってくるのだった。
「そんなこと言われても……わかんないだもん」
振り絞るような声を聞いて、チェリィはよけい乗り出し、食い入るようにして事の成り行きを見守っている。
せっかく気持ちの切り替えが出来たのに、また恐れを伴った不安が重くのしかかってきて、もう目を閉じて一生そのまま何も考えたくないような恐怖が襲ってくる。
だめだなぁ、やっぱり私は弱虫だ。どうなるのかな私達、このままもう戻れないのかな。怖い所へ行くより、このまま平穏に暮らしていける方がいいのかなぁ。
突然、激しい衝撃波が鞠香の頬を突き抜けた。玲子の平手打ちである。びっくり眼の鞠香に、玲子が厳しい声で言い放つ。
「しっかりしなよ! こんな所でへばってどうすんの! 帰るんだよ!」
「それはそうだけど……」
ためらいがちに言葉を濁しつつ訴える。
「心を読んだ……?」
玲子はあっと言うように、両手で口を押さえた。
「なんでだろう、 なんとなく……感じたの」
言いながら、今度は玲子が蒼ざめる。
一方のチェリィは、目の前のやりとりに怒りも忘れ、ただ呆気にとられて大きな目を、より大きくしてひたすら経過を見ているだけである。いきなり殴られて出てきてみれば修羅場なのだから、戸惑うのも無理はない。
発破をかけた玲子だったが、今や自分こそが力なく崩れ落ちた。こぼれ落ちそうな大粒の涙を食いしばっても堪えるが、歯の根がうまく合わない。
「あぁぁーーもうっ!!」
頭をかきむしってヒステリーを起こしている聖美を、歩美ができるだけ柔らかくなだめ、途方にくれた蘭子とあずさは座り込んで空を仰いだ。
何か手段をひらめくわけでもなく、しばらくはそのまま虚しいだけの時間が過ぎていった。
周囲は相変わらず長閑で、ゆっくりと時が流れてゆく。そよ吹く風は、新緑の爽やかな薫りと共に、木漏れ日の間を音もなく滑ってゆく。向こうでは、野ウサギが草むらから茶色い顔を覗かせて鼻をひくひくさせているし、すぐ側の木では啄木鳥が、ご自慢の鋭いくちばしで朝食をとっている音がする。
朝の森が垣間見せる日常風景である。
「ほんとにこれ以上なにがあっても驚けないなぁ、心臓に毛が生えたようだわ」
聖美が呟いた。
もとよりこんな所で諦められるような器用さは持ち合わせていない。その証拠に、隣りでぼんやり聞いていたあずさがいきなり跳ね起きて、意気揚々とこれまた彼女らしいことを叫んだのである。
「そうさ、なにがあっても驚かないんだ! スリルあるじゃん、ね?」
あまりに意表をつかれ、すぐには何も言えなかった鞠香だったが、キッと皆を見据えて頷く。今は底抜けに前向きな言葉が何よりもの栄養だった。楽天的すぎる考えも時には役立つようだ。
鞠香がガッツポーズを送り玲子を見やると、ただ震えるだけだった玲子も同じように不敵な笑みで応えた。
やってやろうじゃないか、こんな所でくじけてたまるもんか。
みんなが勢いつけて一斉に立ち上がる。
「あんた達にも理由がわからないんだね」
チェリィがまごまごしながらみんなを見上げ理解を示す。同情なんかいらないぜ、と古くさい台詞を吐いて格好つけた玲子が、小さな桜の精霊を気遣ってやる。
俄然やる気になっている玲子の前に、鞠香はつかつかと歩み寄り偉そうにふん反り返って立ちはだかると、今度は思いっきり平手打ちを喰らわせた。ふんと鼻をならして照れくさそうにニヤリ。
「これでおあいこだよ。お互い様だからね」
ぶたれた方も負けずに言い返す。
「今度不安がったら、平手じゃすまないもんね」
心の底から、またあわが熱く湧きあがる。それは昨日とは違い、爆発せずにうずを巻いて、どんどんどんどん天へ昇ってゆく。
鞠香が我に返ると、チェリィが小さな体でめいいっぱい空に向かって両手を伸ばしていた。穏やかなパステルトーンの青空。その大空すべてを手中に収めてしまおうとでもいうように、短い腕をピーンと張って差し伸べている。
なにをするのかと不思議に思って胸をときめかせていると、ぽかぽかと暖かくなってきた。
早鐘のように脈打つ鼓動がだんだん速くなってゆく。そして鞠香達はあっと声をあげた。
森の向こうからほんのり薄紅に色づいた桜が、ゆっくりではあるが、間違いなくこちらに向かって綻びながら進んでくるのである。花が開くたび喜びに満ちあふれた音が届き、花びらは希望をそのまま彩った光の波長で恥じらいを添える。
付近一帯には、心和む桜餅を思い起こす匂いで埋め尽くされた。
同時に、ずっと天へ昇りづけていた鞠香のなかのあわが、ついには弾けて大河を成したのだった。緩やかに流れる澄んだ水には、粗末な手作りではあるが、丈夫そうで大きなイカダが一つ浮かんでいる。
荒くなった息をきらせて振り向き、満足そうにほほえんでいるチェリィに送られる大きな拍手で、鞠香は再び我を取り戻した。
すっかり春の陽気に包まれている。どうして精霊の特殊な力でわざわざ花開かせてくれたのかが、じんわりと染み込んでくるようだ。笑顔が咲く。
淡い緋色の花は、その精霊の本質を見透かしたように温かな思いやりと元気に溢れている。
寿ぐ桜の開花は、いつも春の始まりを告げる花火のよう。桜のコメットがなったらもう春、なにをしよう。なにかが始まる心躍るこの気持ち。
鞠香は、すぐ前でチェリィを取り囲んでいる玲子の名を呼んだ。玲子は振り向きざまに抱きすくめられ、くすぐったさに手をばたつかせた。
「今の私の気持ちわかる? わかる?」
言い終わってやっと手を離したかと思うと、今度は体を乗り出してくる。玲子は喉元を押さえ荒い息を整えると、やっと落ちつきを取り戻し首を振った。
「うん。バルコニーで感じた壮快感ってきっと決心だったんだね。そしてチェリィの合図とみんなの拍手で始まるんだ。」
「え、私も今始まったって思ってた!」
「私もだってば!」
みんな同じことを考えていたらしい。もう止まらない。心のあわが次々に盛りあがり、さらに拍車をかけ、ぐんぐん昇り詰めた。
心の奥底から湧きあがってくるのは、きっと勇気。勇気の流れにのって人と出逢いながら、夢と希望を手にするための冒険が始まる。もうすぐ岸が見えなくなるね。でも地球を一周したって銀河系を一周したって、きっと平気。
みんなでアルテナとチェリィを抱き込む。
みんなで出発だからね。
強い東風が吹き、皆の髪を運んでゆこうとする。しっかりと円陣を組んだ八人は、銘々の心のあわを見つめ、毛先をなびかせた。
******
夜はしかたなく野宿となったが、もちろん全員が初体験だ。幸運なことに、昼間のお陽様をたくさん吸い込んだ草は暖かく柔らかで、夜露で多少湿っていることさえ我慢すれば問題なかった。下手な宿のかび臭い布団を考えれば、陽気を内包した草布団の方が健康的な気さえする。
獣も恐かったのだが、なによりも火を絶やすと寒く、二人づつでグループを組んで交代で焚火を見張った。
翌日はアルテナの魔法で動いてみる事に決めていたが、もしかするとまた違う世界へ跳ばされているかもしれない。二回もそうなったことを考えると、勝手に移動している確率の方が高い。皆は不安が消えぬまま横になっていた。
静かだ。時折バササッという鳥の羽音に似た物音と、甲高い鳴き声がするくらいで、他には何の音もない。無音である。しまいには木々の寝息まで聞こえそうだ。
鞠香は、隣に座っている聖美の腕を抱くと、肩に身体を預けた。
「ねぇ、きょんちゃん」
「んー?」
聖美独特の、まろやかで落ち着いた声が返ってくる。
「どこまで流されていくのかな私達」
「どこまで行くかな」
とぼけたようにオウム返しではあるが、言葉は返ってくる。
「ほんとはちょっと恐いんだ」
今度は返事の代わりに、小さな笑いが返ってきた。
昼間は偉そうなことを言ったけど、正直言うと先が見えないって恐い。
「唄う?」
枝に遮られてプラネタリウムのように丸まっている空を見上げながら、しばし聖美は思案した。
バサーッ。また大きな音がして、火の爆ぜる音がする。
「例えばこんな歌、”せーかいはせーまい、せーかいはおー○じ、せーかいはまーるい、ただ○ーとーつー”ってどう?」
古今東西の数え切れない曲から、いきなり一発で核心をついた歌。それも普段は忘れているだけで、世界中の子供から大人が知っているお馴染みの歌に、地球かどうかもわからない、見知らぬ異国で涙がこみ上げてくる。
どこへ行っても歌は唄える、たった二人いるだけでハーモニーが出来てしまう。それは夢と希望も、勇気をも掬い上げられる超パワーを持っている。
「かなわないや」
腕を抱きしめたまま、自嘲じみた笑いで独りごちる鞠香を横目で流し、聖美はまたコツッと頭をぶつけてきた。
「彼氏の元へ帰らなければね」
……。
鞠香は返すべき言葉を失う。その重い空気に似合わぬ、耳をも疑うお気楽極楽な一言。誰がいつ
彼氏ができたと言っただろう、あんなにキッパリと否定したではないか。それとも今のは独り言なのか。鞠香は引き出しの奥から無理矢理引っぱり出すように、考え考え言う。
「だれの?」
「まぁのに決まってるじゃない。あれ? あんたもしかして……本当にいないの?!」
聖美は口をひん曲げて、まるで異形のものでも見るかのように恐々と後退する。
なんて失礼な。彼氏いない歴十七年で悪いのか。 いないったらいないのだ。
「私が鞠香と同じ高二の時はシスターの目を盗んで、よく放課後デートしたものよぉ」
そんなことだから反省室に入れられそうになるのだ。それでも長年大きな猫をしょっているというスキルがあるので、調整はお手の物、先生の評判はすこぶる良かったが。あわや見つかってしまった時の対処も、彼女ならではの華麗なテクニックが光っていた。
まだまだ続く十七歳の青春話に、少々うんざりして右から左へと聞き流していたが、こんなバカ話を出来るのも聖美が一緒にいるからである。もしかしたらこの話だって気を利かせてくれたのかも知れない。もしそれが本心だったとしても、聖美らしいというか何か勘違いしているというか、複雑なところではある。
独りぼっちじゃないって心強いな。
鞠香は聖美を盗み見る。お姉さまはまだ惚気話に夢中だが、それも今この場所に至っては頼もしいではないか。
鞠香は小さく笑みを漏らすと、温もりある彼女の腕を握りしめた。
未踏の地を歩く時って不安だよね。当たり前だよね、それでいいんだよね。たとえコロンブスでも懼れを抱いたと思う。前が見えないって、大抵こんなものかな。誰もが目指す理想郷。私だけのまほろばも、いつかは見つけられるかな。そこにきょんちゃんやみんながいたら良いのにな。そしていつかは好きな人と、楽しいことも苦しいことも一緒に経験してゆけたら素敵だなぁ。私だってきょんちゃんより、もっともっとすごい大々恋愛をするかも知れないもん。
鞠香はうっとりと未来を想像してみた。なんて華々しい夢なのだろう。
つと脳裏に譜面が浮かび上がる。重々しい封印を解くように、一つ一つの音程を確かめながら唇にのせてみる。
「”未知と○う名の船に乗り、希望と○う名の地図を見て、夢という名のコンパスで未来を訪○る冒険者”」
「”心はいつもパノラマだ”」
「”LuLuLu……”」
独り言のように唄い始めた鞠香のメロディに聖美が加わり、いつのまにか残りの者達がハミングして響き合っていた。
真っ暗闇のしじまに、一本の真っ直ぐな歌声と滑らかな歌声。少女達の和声に誘われるように、居眠りしていたふくろうの爺様や昼間の野ウサギ、啄木鳥ばかりか精霊達までもが耳を澄ました。
もちろんチェリィも、桜のうろのしとねで夢見心地で揺られていた。
おいこら見てろよ。
見上げる異時空の夜空には、地上の花を反射して桜色に染まった朧月。淡月はあの夜と同じたおやかな光で、ささやくように唄う六人に桜色の元気を漲らせてくれた。
その日一日の温もりを宿した若草の寝床に、聖歌と共に眠気が訪れる。
森全体が安らかな眠りに落ちる丑三つ時、ふくろうのためらいがちなホッホーという賞賛の声も静けさで覆われて、後には時々ムササビが飛び交う音が尾を引くばかりであった。
希望をはらんだ桜のつぼみの一斉開花、朧月夜も手伝って船出しよう。満水の勇気の河はまほろば目指してどこまで流れて行く? 流されて行く? 大丈夫、ちゃんと自分の足で立ってる。
|