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DREAM1 〜月見野原の雫

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   Chapter5:月見野原の雫 


 肌寒い。
 目覚めた玲子は、慌てて鞠香を揺り起こした。
 その声に見回せば、荘厳な輝きを発してそびえ建つ城が飛び込んでくる。やたらに派手な多角形の天守は、遠足や花見で訪れる城とはずいぶん違う。その眼下には、大きな黒い水たまりが揺れていた。
 鞠香は、既視感に囚われていた。
 初めてなのに懐かしいとか知っている、といったドラマティックなものではない。なんとなく好きな場所だ、しっくりくるといった、小さな第六感だった。初めてのことではない。時々不意に感じることがあり、そういう時は、土地から力を分けてもらえると考えてきた。
 それにしても城といえば、白黒や青緑といったイメージだ。こんな派手なのは見たことない。ということは江戸時代ではない。その前といえば安土桃山。それではここは大阪か京都か。さっきいたのは、近畿に違いないから、そんなところだろうか。
 鞠香一人では決して至らない推理も、三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、飛鳥同様なんとか思考をまとめ、おおかたで服装を整える。大河ドラマなんかでよく見る、町娘のあれだ。あまり身分の高い格好をしていると、見咎められそうなので、あえて庶民の格好にする。
「さて、なにはともあれ宿捜しかしらね」
 着物姿の聖美が、改めて周囲を見回す。夜露を凌ぐ物など何もない。ただの花の野っぱらである。かろうじて木が立っているが、そんな所で寝たくはない。
「出来ることなら、布団で寝たいわよね」
 聖美お姉さまの提案に、一同うんうんと首を振る。
「宿なんか、貸してくれる時間なのかしらねぇ」
 明るい夜を過ごしてきた面々に、夜空で時を推し量ることなどできるはずがない。おとぎの国だって時計はある。日時計や水時計が主ではあるが。
「ま、なんとかなるでしょ」
 聖美はO型気質を発揮させ、結論にもならない結びの言葉を取りつける。
 なんとかならないと、得体の知れぬ土地でまた野宿だ。是非なんとかなって欲しい。願わずにはいられない一同だった。

 後ろから前から蛍が瞬き、交差しては、硝子製の夢の国へ誘う。
 幸い、野原から半刻も歩かぬ内に、宿屋らしき看板がかかっていた。絵に描いたような木造長屋二階建て。それでも雨露は凌げるだろう。これで充分だ、こんなありがたいことはない。
 戸を叩くと、若い女将は快諾してくれた。とにかく野宿は免れたと、笑みを交わし合う。こんな小さな事が、すごくありがたい。
 聖美が代表者として名前を書くと、にこにこと案内してくれる。部屋に入って寛ぎの体勢をとると、ちょっとしたおもてなしまで始まった。女将が天使に見える。
 地の銘酒も入り、本来ならば未成年のはずの鞠香もやたらに心地良く楽しい夜を過ごしていた。返杯でほろ酔いの女将も混じり、陽気なムードで夜が更けてゆく。
 アルテナの金髪に南蛮人かと驚き、慌てて訂正したり、聞いたことのない過去の世間話に耳を傾け、久しぶりに心が軽くなる。
 はふー、酔っちゃった。こんな何日もたて続けに飲んだのは初めてだぁ。
 鞠香が何気なく窓辺を見やると、賑やかしい輪をはずれてぽつねんと、夜空を見上げる玲子がいた。
 月もちょうど中天にさしかかり、薄明かりが瞳に溜まった水の粒を光らせる。鞠香は慌てて駆け寄った。
「玲子、大丈夫だよ!」
「まぁ……」
 いきなり足にすがりついて懇願する鞠香に、玲子も言葉を失う。
「私、まだ玲子みたいな恋ってしたことないから、本当のこと言うと、ちゃんと気持ちを分かってあげられないんだけど、でもわかるよ!」
 今にも噛みつきそうだ。
 転生の話を知ってしまって、虚偽の範囲もまだ判断できないが、それでも玲子と大海人の共鳴は本物だと思える。凄いと思った。
「今何をすれば一番良いのかわからないけど、いつでもそばにいるね。ちゃんと玲子を見てるね」
 ──だから、いつ立ち止まっても大丈夫だよ。みんながすぐそばにいるよ。
 口下手な鞠香にとっては、これでも精いっぱいの励ましで、暗にそういう意味が隠されていることも、この顔を見れば伝わってくる。
「私は大丈夫だよ、でも今はまだちょっとね」
 玲子は案外しっかりした口調で、ぺろっと舌を出して涙を拭く。
 別れたばかりの彼女が、どうして支えもなく倒れないでいられるのか。それは鞠香にとって未経験の想いで、まだ理解はできなかったが、ただやっぱりすごく寂しいだろうなという気持ちだけは、生来寂しがり屋の才能も手伝って非常によく理解できた。
「私ね」
「なぁに?」
「玲子みたいな恋、素敵だなって思ったよ」
「まぁもしてみる?」
 ちょっとお姉さんぶって答える玲子。笑いあう二人に、月が優しくほほえみかける。
「飲んで食べて喋ろう、おいでよ」
 鞠香に手を引かれ、輪へ戻った玲子だったが、後から後から湧いてくるしょっぱい水を落としてしまわないよう、たいそう気を使わねばならなかった。
 もう会えない。あなたがそこにいない、あなたのいない未来へと来ている。寂しいなど思わない、かといって単純に悲しいとは言いきれない。ただない、あるべきものがない。この喪失感を、これから一生背負っていくのだ。
 玲子は何を飲んでも食べても味覚がなかった。たくさん泣いても仕方がない、耐えるしか考えられない。まんじりともなく忍んでいれば、機能していない五感も戻ってくるだろうか。
 アルテナが気遣わしげに見ていることも、聖美が自分ばかりに杯を勧めてくるのも気付かない。いっぱいいっぱいの玲子だった。

 鞠香はというと、酔い覚ましにぶらり町へ出ていた。
 宿屋の周りは商業地らしく、木の建物が並んで商店街を成している。
 信長が楽市楽座を奨励し、部下を身近に住まわせるため必要な店を集めたと考えられているが、これは未来での見解だ。信長の意など計れないが、自由に商売できるのはありがたいと、各方面から広く商売人が集まっているそうだ。
 女将の話を聞いて察するところ、ここは戦国、安土末期のようだ。
 末期というのは、どうも天正十年に来てしまっているからである。天正十年といえば、天下統一に燃えたかの織田信長が、明智光秀の謀反に遭い自刃したという本能寺の変である。永い永い歴史の変化地点ともいえる大事件だ。六人いれば、いくらなんでもこれぐらいの知識は出た。
 飛鳥といい、たとえ強制的でも詰め込みでも、学校で日本史が習えて良かったとしみじみ思う。授業で得た知識が、こんな立派に役立つ日が来ようとは。
「すごぉい、蛍がいっぱい」
 見事な乱舞に歓喜する。鞠香の住む市は、山手に行けば野生の蛍が見られ、近隣から見に来る人もいる。だが、それとは比べものにならない光が、街灯のように行く先を照らしている。こんな数は見たことがない。しばし初夏の風物詩に感激しつつ歩む。
 しかし本能寺の変というイベントは知っているが、その実がどうなのかまったく知らない。年号さえ覚えていなかった。単なるテスト対策の知識しかない鞠香は、まだアルコールの残る頭で、なんとか教科書の記述を思い出そうとしていた。一人でなくてよかったと、心の底から感謝する。
 気がつくと、さっきの野原へ来ていた。電灯のない時代、日が落ちてから外を歩き回る人など少ない。特に商業地を抜けてから行き合う人はなく、人気のない野原は風が吹くばかりだった。
 足を踏み入れ、ギョッとする。
 月の雫を浴び、ひっそり泣いている少女が、時が止まったように立ち尽くしていた。見た感じでは、自分と変わらぬ年頃である。
 さっきはいなかったと思う。そうでないと何もかも見られていたことになる。いなかった……と、無理にでも思いたい。
「どうかされましたか」
 うろたえながら問いかけると、自分の名が香代であること、城の侍女であること、彼氏とは幼なじみの恋仲であることを、零れるように話してくれた。
 なにもそこまで聞いていないのに、と正直戸惑いを隠せない。
「けれども近頃の蘭丸は、上様のために走りまわってばかりで、私とは話すらする暇がないと言うのです。それで日毎に心が離れていくように思えたものですから、つい怨みごとを……蘭丸が昔の蘭丸ではなくなってしまった気がする、と」
 そこで言葉を切ると、薄い手のひらで顔を覆う。だが、続きを話すことはやめなかった。
「彼は火のように怒って、私にそのようなことを言われる筋合いはないと、走り去ってしまったのです。どうすれば良いものかとここへ来て……ここへ来ると慰められるような気がするのです」
 ふとするとまた泣き出しそうな香代に、鞠香は声をかけられず途方にくれていた。
 だいたいからして、こういう内容は得意ではない。経過を見てきた玲子なら言い様もあるが、初会である。それも右も左もわからない時代で。
 そうして思案の末、心を和らげてみてはと宿屋へ誘ったのだった。道々なんとか盛り上げようと、あれやこれや気を遣いまくって、やっとのことで戻ってみれば、飲まされて一から十まで吐露させられ泣きが入る。せっかくの気遣いも水の泡だ。だいたいこの香代とやら、相当なザルである。おもてなしで普通に酒が出て来たし、この時代では、十代の飲酒が当たり前なのだろうか。
「その蘭丸とやらに、話つけたろうじゃないの」
「館に乗り込んでやる」
 激怒した玲子と蘭子が、香代には内緒で直談判しに行くと譲らない。酔っているだろう、とツッコんでやりたい。痴話喧嘩は犬でも食わないというのに、大きなお世話だ。しかし蘭子は持ち前の正義感をいかんなく発揮し、玲子も恋愛事にはナーバスになっているわけで。押し切られる形で、とうとう日が昇りしだい道案内するところまで持ち込まれてしまった。
 香代も運が良かったと言うべきか、恐ろしく強力な助っ人が起ったわけである。他へ移動している場合ではない、香代も隠れて泣いている場合ではない。

 そのまま朝を迎えた。
 せっかくの勢いもどこへやら。勇み足で来てみれば、自宅にも城内にも蘭丸は不在だった。
 勇猛果敢に行進してきた玲子と蘭子が急に萎える。
「結構歩いたと思うんだけど、出直しかぁ?!」
 蘭子が見下ろす城下は遥か下方。小高い山に位置する本丸に近い邸宅からは、石段と坂道が九十九折になっている。
「こんなのをよく毎日、上ったり下りたりしてるよ」
 玲子まで汗を拭き拭きぼやく横で、鞠香は笑う膝を押さえて息を整えた。運動不足この上ない。
 入り口がいくつもあるのに、肝心の正面の道は偉い人が来た時のためだと、いちいち小山をぐるりと廻って入った上に、やたらにたくさんある門の番人に翻弄され辿り着いてみれば不在である。さしもの鞠香もがっかりした。
 金の楼閣は、華美な装飾とは裏腹に、底知れぬ力を感じさせる。観光で訪れる物言わぬ城とは違う、生きている城という感じがする。
 本物って、こんなすごい迫力なんだ。なんか怖いくらい。
 見上げた楼閣の上を、トンビが舞い、甲高い声が空高く吸い込まれていく。ふと木漏れ日を白く反射する男が、向こうで手招いている。
 門兵から伝え聞いた痴話喧嘩を妙に気に入った信長が、なんと本丸で待機せよと許可を下したと言うのだ。本丸といっても端の端だろうけど、なかなかあることではない。現代人としてはまたとない機会であり、もちろん鞠香も行こうとしたのだが、途中から足がすくんで動かない。身体が強張って、どうしても進む気になれない。
 骨折り損のくたびれ儲けだが、蘭丸邸付近で待つことにして、一人残る事にした。
 安土城は本能寺の変の後、綺麗さっぱり焼き払われてしまう幻の名城である。玲子の説明によると、今ではわずかな史料が残存するだけで、学界では常に取り沙汰されて復興の話も出ているそうだ。そんな物を見られるなんて、訳のわからない旅で唯一得したおまけといえよう。行けるものなら行きたい。でも足を踏み出すごとに気が滅入るのだ。
 流れ込んでくるたまらなく切ない恐怖、 締め上げられるような哀しみと甘やかさ。これは白昼夢を見た後に似ている。同じと言っても差し支えない。
 行かないで!
 ハッキリ流れてくる意思。身体は自分なのに、心は自分でないように抗えない。丸太棒のようになって動けない。
 こういう時は素直に従っておくのがよい。もともと直感を信じる鞠香であったから、これ以上考えるのはやめにした。決して霊感など俗的なものではない。だが心に直接流れ込む強烈な警告は、非科学的な根拠に基づくものに違いなかった。

 城というのは、華々しい天守だけを指すのではなく、臣下の屋敷や寺などの建物がひしめき合って軒を連ねるすべてを言うそうだ。
 蘭丸邸の門前も、しばらく立っているだけで、様々に人が通る。いかにも侍女っぽい女が立ち働いているかと思えば、商人風の男がなにか届けに来たり、まるでバーチャル歴史資料館である。城内は見られずとも、これだけで価値がある。現代とは違う日々の営みは、座学では舟をこいでいた鞠香を飽きさせることがなかった。

 

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