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DREAM1 〜月見野原の雫

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 いななきに顔を上げると、馬に乗った青年が駆けて来る。
 ポニーならいざ知らず、牧場で草を食んでいるはずの馬が、自分めがけて走ってくるなど前代未聞である。青年がどうどうと言って完全に止まってくれるまで、鞠香は身を恐ばらせたまま案山子のように突っ立っていた。
「仕事もせず何をしておるのだ」
 年若いくせ偉そうな物言い。ムッとする反面、反抗してはいけない相手かも、との保守的な考えも働く。
「森蘭丸……様に、お会いするためここで待っております」
 上目遣いに相手の出方を探りながら答える女に、青年はひどく怪訝な顔つきになる。
「なぜ?」
 短い返答。いったい何に対しての問いかけなのか、慎重に言葉を選び、たどたどしいほどの日本語でなんとかプライバシーを傷つけないよう大まかに話す。
 鞠香の戦国時代のイメージといえば、鳴かぬなら殺してしまえホトトギスだ。これに尽きる、と思っていた。他の趣向もあったはずなだが、なんてひどい時代だとの印象が強すぎて、とにかく気に入られなければ即抜刀だと海の底までも深く信じていた。
 だが青年は、愉快そうに笑いとばすのだった。
 いつ斬られるかと怯えながら、この大雑把な鞠香が注意深く話したというのに大笑いとは。期せずとも腹が立ってくる。そのうえ暢気に野駆けなんぞに誘ってくる。
 これって、この時代のナンパかしら。
 鞠香が内心ムッとしたのは言わずもがな、城中に友達がいるからと断ると、それなら言付けてやるから大丈夫と再度誘いをかけてくる。
 ここで断ったら角が立つかな。それに見も知らない人を待っていたってなぁ。乗馬かぁ。
 二度の誘いにも考え込んでいた鞠香だったが、待ち続けるにも戸惑いはあったし、過去の人との接触や乗馬には興味をかきたてられる。
 まっいいか。
 せっかく来たのだから仮想歴史博物館を、より現実的に体験して帰りたいという、若い好奇心が今頃になって疼き始めたのだった。
 思っていたより高い鐙を前にして、この着物姿でどこへ足をかけてどこに体重をかければ良いものか。無様な引っ張りあげ方をしてもらい、鞠香はやっとこさで同じ視線に並ぶと、彼をつくづく観察した。
 切れ長の目が優しく、まだ少年の面影を残している。それが真っ直ぐ前を見て揺れている。失礼な態度もどこか憎めない。
 思春期に異性を意識し始めてから、こんなに接近したことはなかった。手綱との間で抱かれるように小さく腰掛けて、居心地の悪さを計りにかけたら針が吹っ飛ぶだろう。一人でドキドキ、いかにも男の人に免疫ありませんと言わんばかりで、恥ずかしいやら悔しいやらである。
 それも馬が一の門を過ぎて小走りになると、天高く飛んでいった。水田や木々の若葉が、透明な風に融けてゆく。萠えるような緑の匂いをいっぱいに吸い込むと、歩いている人より余分な風を貰えるみたいで、気持ち良いことこの上ない。
 軽く速歩しているだけなのに、お尻はどんどこ揺れ、バランスを保つのに神経を使う。
 青年も鞠香に合わせ、ゆっくり景色を楽しむように手綱を取っている。言付けをしたときの口調からして、ただの下朗ではなさそうである。
「あの、お名前は何と言うのですか」
 当たり障りなく、且つ何気なく聞いたつもりである。しかし彼の方は、もう我慢ならないというようにクスクスクスクス笑うのだ。鞠香がまたもやムスッとするのもお構いなしで笑い続けている。
「私がその蘭丸だよ」
 なんと香代を泣かせている当人だと言うのだ。たまげて馬から落っこちそうになっている鞠香を、慌てて支えた蘭丸はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「以後、お見知りおきを」
 などと冗談まで言って、それからまたクスクス笑いをした。どうにも鞠香の変化が、おもしろくてしようがない。
 それからの鞠香は、感情を隠すことも忘れ、ひたすら沈黙した。何を話していいのか、すっかり糸口を見失ってしまったのだ。たてがみを握り締め、振り落とされないように一所懸命しがみついているだけだった。歩みはゆっくりだったが、馬とは見た目以上に揺れる。
 本人は隠しているつもりでも、手に取るように伝わる一挙一動に、蘭丸はまだ笑みを崩さず顔を背けていた。
 気がつけば、また月見草の原っぱに来ていた。どうやら、ここいらでは格好の散歩コースになっているようだ。
 蘭丸は慣れた手付きで下乗すると、まだ馬上でまごまごしている鞠香へと手を広げた。ためらいながら身を委ねたとたん、触れ合った肌と肌から柔らかな風が湧いた。
 慌てて手を離す。
 互いに驚きを隠せないまま、視線を交わす。
 ちょっとの間だった。蘭丸が水っぽい月見草のなかへと下ろしてくれる。
 それから無造作に腰をおろした彼は、城を遠望したまま黙りこくってしまった。とても話しかけられるような雰囲気ではない。冷厳な顔だ。
 ちょっとプライベートなことまで立ち入り過ぎだよね。怒ってるのかなぁ。
 鞠香は隣に腰を下ろし、朝露を弾いた。玉露は萎れかけた花弁を揺らして、予想外の大きな水飛沫を飛ばす。
 でも今の風はなんだったのだろう。体温が合わさったような温もりある風だった。蘭丸様は感じなかったのかなぁ。
 まだ喋らない蘭丸を、さり気なく覗き込む。微笑の消えた横顔は厳しく引き締まって、どこか果てのない向こうを見ている。笑っていたさっきとは違って、鋭さも持ち合わせた真摯な眼差しは、今まで出逢ったことのないものだった。
 鞠香は森蘭丸が何者であるか、まったく知らなかった。毎度毎度テストは一夜漬けだったから、年号を覚えているだけで万々歳。試験に出そうにもない、歴史の片隅に名を残す人間など知ろうとも思わなかった。
 前方には淡海が、朝の光で広がっている。淡海とは、現代でいう琵琶湖の旧い呼び名だ。
 ずいぶん経ってから、なにかに取り憑かれたかのように語り始めた。
「香代とは幼い頃より仲が良く、あれの両親が家臣にも関わらず、兄妹のように育てられた。美濃兼山、わが故郷……」
 そこで蘭丸は、歯をくいしばって握り拳をつくり睨みつけたまま再び黙ってしまった。ひどく辛そうに顔を歪めたが、しばらくで元の表情を取り戻すと、訥々と言葉を継ぐ。
「父上は……父上は、殿に命ぜられた戦で朽ちた。供をした香代の父親も一緒に、だ。彼女の母親はそれから間もなく後を追うように死に、両親を亡くした香代と、父上の死を悼み仏門に帰依した母上を見た私は、幼心にも殿が怨めしうて怨めしうて。復讐を誓った」
 最後の一言に妙な力を入れながらも、柔和な顔つきで過去を紡いでゆく。
「実際にお小姓にあがって接してみると、殿を怨むのは筋違いのような気がして……いつしか私は殿を慕い、殿もまた私を必要として下さるようになった。なぜなら殿は、なにも戦がやりとうてやっておるのではない。人を殺すのがおもしろうて殺しておるのではない。全ては天下統一を成して、立派な国を造る為なのだ。だからと言うて香代のことを忘れていたわけではない。ただ国造りをするなかに、私の手も加えられているかと思うと誇らしげに思えて……こういうことだ」
 蘭丸はいたずらっ気を隠した、切れ長の眼で苦笑した。
 鞠香のなかに熱いものがこみあげてくる。
 私には考えられないくらい、いろんなことに遭ってきたんだ。たくさんの大切な人を失ってきたんだ。そんな中を生き抜いてきた蘭丸様と香代さんてすごい。こういうのを絆っていうのかな。いいなぁ、 結局蘭丸様は、香代さんに心許してるんだよね。そういうことだよね。
 下降気味の頬につと、見かけによらず器用そうな指が触れ、鞠香はびっくりして顔をあげた。だが無意識に平静を装う。
「不思議だ……」
「えっ?」
 突然、真剣な顔をして言い出す。
「心安らぎ、楽しかった」
 家族のことなど話したことがないのに。なぜ会ったばかりのこんな娘に。
 蘭丸の指が、紅く染まった鞠香の頬を撫でる。
「そなた、名はなんと申す」
「ま、鞠香」
 意表をついた質問に、鞠香の声も上ずる。
「鞠香か。鞠香、明日もこの時刻にここで落ち合わないか。そろそろ城へ戻らなくてはならないので今日はこれにて。待っているぞ」
 勝手にそう言い残して、笑って去っていく蘭丸を、鞠香はまだ火照った顔で見送りながら複雑な心境でいた。
 私もなんだか不思議な風を感じる。きゅうんと切なくて優しくて、でも少し恐い……。お城に感じたのと似ているかもしれない。香代さんの為に会うはずだったのに、蘭丸様が素敵な人に思える。こんな風に感じてはいけないのに、心安らぐと言ってもらえて嬉しい。香代さんみたいに、なんだかんだ言っても繋がっていられるっていいなぁ。羨ましい。
 鞠香はプルプルと頭を振った。
 きっと玲子の大恋愛を見た後だから、こんなことを思うんだよね。逢ったばかりの人に何を求めているのだか、まったく悪い癖なんだから。すぐ優しくしてもらいたくなっちゃう。甘えたで恥ずかしい。
 自分で頭を叩くと、「よっこいしょ」と年寄りのように掛け声をかけ、重い腰をあげた。
 そういえば昼ご飯の手伝いをするって、夕べ約束したっけ。

  一足先に戻って昼支度をしていると、やがて玲子と蘭子がひどく疲れて帰って来た。
 会えなかっただろうことは百も承知だ。蘭丸は、自分といたのだから。
「どうだったの?」
 複雑な笑みを浮かべて聞いたとたん、二人揃って薮から棒に憤慨し、ツバを飛ばして話し始められてしまった。飛んで火にいる夏の虫とは、こういう事を言うに違いない。ひんやりした土間だったが、二人の熱気だけで飯が炊けそうだ。
「香代さんと城中で会ってさ、身を退くって言うんだよ?!」
 ひどい話よねと言わんばかりに、蘭子が語尾をあげて共感を誘うが、鞠香はさらに複雑な顔になって笑うしかなかった。
 香代のことを忘れていたわけではないと言った彼。なのになぜ。これが戦国の世の理なのだろうか。玲子や蘭子に後ろめたい気持ちと、香代の意図がつかめず、鞠香は苦笑以外どんな表情も浮かんでこなかった。
「だからね、いっぱいいっぱい励ましてきたの。どっちに転んでも香代さんには元気になって欲しいじゃん?!」
 後を継いだ玲子に、息もつかずまくし立てられ、鞠香は圧倒されながらただ聞いていた。
 違うよ、香代さんは今でも蘭丸様に大切に想われているよ。きっとどこかで感じているよね。だけど納得いかないだけだよね。贅沢……なんて。ごめんなさい。

******


 現代家屋のように、光の計算が成されていない薄暗い部屋で、鞠香は目を開けた。
 子雀の跳ねている足音が、板を葺いただけの屋根を通して聞こえる。素朴な小屋は、旨そうな汁の香りで満ちていた。どうやら菜っ葉の汁物らしい。
 移動していなければ良いなどと、口が裂けても言えぬ不謹慎な事を心配して眠りについた。そして本当に移動していなかった。
 どうして──?
 もちろん伊邪那美神の使命を果たす時代ゆえ当然だが、めまぐるしい出来事に手いっぱいだった鞠香は忘却の彼方だった。今やっと思い出したが、今度は自分が舵をとっているとでも言うのだろうか。それは玲子が、飛鳥に共鳴した類のものだろうか。それとも使命とか、ちょこっと聞きかじったものだろうか。なにはともあれ情報が少なすぎる。
 もし共鳴した類なら、相手はいったい誰なのだ。蘭丸か。ここに来て、まともに会った男性は彼しかいないではないか。あまりに都合良すぎて、たちまち記憶は却下される。
 だいたい蘭丸が時を越えて共鳴するほどの恋人なら、香代の存在はいったいなんだ。彼には香代という立派な恋人がいて、自分が割り込む隙は一寸たりともないのである。いくら好意のようなものを示してくれたって……。
 示してくれて、なにを期待しているの。私、なにか期待しているの。
 ……なんでこんなことを考えなければいけないのよ。そもそも使命も告げずに行っちゃった伊邪那美様が悪いんじゃない。あぁ、もう! もやもやする!
 無理に笑って、無理に弾けてみせる。
 よし! 元気元気!
 思いっきり笑うと本当に元気が湧いてくるようで、聖美の尻にわざわざ確認のパンチを一発くらわし怒られてしまう有様である。せっかくの元気もみるみる萎む。
 けれどもそこはそれ。ストレスを溜めていたみんなが相撲を始めだして大騒ぎである。こうなったら止められない、止まらない。やり始めたらとことんやる、これがこのメンバーの鉄則なのだ。
 さっきまで怒っていた聖美まで行司を始めてしまうし、普段は控えめなはずの歩美は歩美で、手に汗を握りながら実況中継をやってしまう始末である。
 宿に泊まっていたのがこのグループだけで良かったが、もう長屋の端から端まで破壊してしまいそうな騒ぎっぷりに、女将が飛んで来たぐらいである。
 女将のおかげでどうにか一区切りついたが、もし放っておいたら日が暮れるまで暴れていたかも知れない。今日のところは、みんなも満足がいったようだし、残りの欲求と言えば腹いっぱい飯を食らうことだけであった。何処にいても、騒がしいのに変わりはない。

 食事を終え一段落した部屋から、鞠香がすり抜けていくのを、聖美は見逃さなかった。
「あれ、どうしたの?」
 アルテナが、窓枠に肘をついている聖美の後ろに、腰を下ろしながら声をかける。
 聖美は返答する代わりに、無言で外を指差した。アルテナがひょいと覗き込むと、ちょうど鞠香が宿屋の前を駆けて行くところだった。転がるように走って行く鞠香に、聖美は肩を落とし愚痴をこぼす。
「どういう経緯があったか知らないけど、これは恋よ。この状況下であの子ったら」
「恋? 昨日の今日で?」
 眉間にしわを寄せるアルテナに、聖美はきつい一言をかぶせる。
「あら、アルテナだって昨日の今日じゃなかったの?」
 お前はシスコンの気があるのではないかと言い返したくなったが、ここは我慢しておく。なるべく出さないように努めてはいたが、やはり気付かれていたらしい玲子への気持ちは、一朝一夕で出来上がったものではない。泉へ通いつめるうち徐々にだ。だが、わざわざ説明することもない。黙って素通りさせる。
「あの子の恋なんて、きっと駆け引きなしの真っ向勝負よね。遊びの部分なんて考えられない本気よね。どうするのかしら、明日にはここにいないかもしれないのに」
 アルテナがいることを忘れ、独り言のようにぼやく聖美の頭を撫でてやる。
「きょんちゃんは、本当によく観察しているね。まるで特別な力がなくても心が読めるようだ、女王の素質があるよ」
 いつもなら嬉しい玉の輿ちっくな発言も、今は耳の弁が勝手にシャットアウトする。
「あの子、泣くかしら。ちゃんと泣いてくれるかしら。私は何が出来るかしら」
 アルテナが無言でポンポンと頭を叩く。聖美が泣きそうになっているのがわかったから。
「ほんとのほんとに……どうしてこんな事になったのかしら」
 それでも声を張って頑張る聖美の真髄を、アルテナは見たような気がした。

 

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