暗い朝も三日目、安土に来て六日目の朝だった。 がらがらと、荷車が行く音にも眠りを妨げられなくなってきた。慣れたというよりは、単に眠気の方が勝っているといった調子で、起き上がるまで傷ついた獣のように四つんばいで唸りながらである。 起き上がった後も無口でひたすら座っているだけ。今からすべきことや、昨日の出来事が、ぐるぐる頭の中を回ってコンペイトウに思い至ると、鞠香は懐をまさぐった。 昨夜も昨夜とて、寝間着に着替える余裕もないぐらい昏睡していた。この生活に精いっぱいで、余分なことは何一つ考えられなかった。安土で留まっている理由についても。 「昨日会った人にね、貰ったの」 そう言って開いた包みに狂喜乱舞し、たちまち一欠片も残さず食いつぶされてしまう。まるで飢えた狼の集団である。 やっぱり持って帰ってよかったなと、鞠香もいたく満足した。 珍しい菓子をくれる相手といえば、城関係の上層部か宣教師達ではないだろうか。鞠香より歴史の知識を持つ聖美などは、内心思い巡らせながら砂糖を味わっていたのだった。 周囲の思惑など知る由もなく、まだ起きやらぬ色気もなにもない顔で、鞠香は食事を前にぼんやり座っていた。そろそろ寝不足が堪えはじめている。こうして身体を起こしても、頭が回転し始めるまで時間がかかってしようがない。 昨夜はなにか炎の夢を見てうなされていた気がする。寝不足に拍車がかけられた気分だった。 外は糠雨が降っていて、これでは売れる物も売れない。 背後の工房では、朝早くから鉄をうつ高らかな音が聞こえ、つい背筋が伸びる。一日目は恐々と覗いていた現場も、今はあれこれ興味が尽きず、最初は城仕えを望んでいた聖美も楽しく働いている。 相方のハンサム王子アルテナはというと、自分の城下に鍛冶屋があったので別に珍しくないらしい。道行く女ににっこり上品な笑みを投げかけ、包丁の実演販売に余念がない。 金髪を気にして髷っぽく結ってはいるが、隠しおおせないのなら逆手にとろうと、タワシのようにおったてて結うのが流行っている中で、わざと垂らしてポニーテールと髷を融合した個性的スタイルで通している。 外国人が闊歩している賑やかな町である。南蛮人でもあまり見かけない金髪も、当初心配していたよりは受け入れてもらっている。というより、騙されていると思う。 「へい、いらっしゃいいらっしゃい。よく切れる包丁、小枝もスパッと切れちゃう。ほら、そこの奥さん見て見て」 これが星降るお伽の国を統べる王子の言うことだろうか。甘いマスクで、王子ならではの本物の気品をもって笑いかけられれば、誰でも足を止めるに決まっている。その証拠に、そぼ降る雨のなか人々が注目を始めていた。 「ほら、こんなに切れる包丁がこんなに安い。お得でしょう、どう毎日使ってみたくない」 この時代、野菜の耳でももったいないので、小枝を拾っては切っている。これが実によく切れる。最初は自分達も驚いたが、後ろの工房で職人が打ち出だす鉄は、驚くほど鋭い。 ここは日用品しか取り扱っていないが、刀専門の鍛冶屋もあることを考えれば、切れて当前かとも思う。その代わり、何度も研いで長く大切に使うのだ。 「お兄さん、本当にそんなに切れるの」 「切れますとも、ほら柄を握って下さい」 女が握った上から自分が手を添えて、もう一度切ってみせる。女は視線がおぼつかない、明らかにアルテナに触れられてドキドキしているのが見てとれる。 「ほら、切れたでしょう。どう、一本いっとく?」 そんな風に、雨天の少ない客を確実にとらえて売りさばいていく。 「ねぇ、あんた本当に王子様?」 いそいそと包みを抱いて去ってゆく女を目で追いながら、聖美は呆れて吐き出す。 「物は使いようだろ。俺、時々こうしてご城下の商いも手伝ってたからさ」 「…………」 化けの皮の大きさなら自信はあるが、こうもいけしゃあしゃあと猫をかぶられた日には、絶句してしまうほかなかった。彼は自分がハンサムだと承知しているらしい。 適材適所とはよく言ったものだ。アルテナをここに配置した蘭子には、人事の才があるのかもしれない。本気で思う聖美だった。 とはいえ、男は聖美が相手だった。アルテナに負けず口先三寸で狙った獲物は逃さない。それこそアルテナが目を見張る二重人格ぶりを発揮していたのだった。 朝から降り続いている五月雨は、昼を過ぎてもやむ気配を見せず、相変わらず土を黒く塗り替えている。薄暗い店先は肌寒い。昼を過ぎると、通りがかる人も足早で少なくなってきた。 「聖美ちゃん、あるてなくん、奥でお饅頭食べといで!」 威勢のいい声がしたかと思うと、奥さんが張り手のごとき勢いで叩く。休憩の間は、いつも店番を引き受けてくれるのだ。 恰幅のいい背中に乳飲み子を背負い、それこそお饅頭のような頬っぺで、いつも元気いっぱいだ。聖美は、この奥さんが大好きだった。 「ありがとうございます、じゃお言葉に甘えて」 「ほんに、二人が来てくれて助かっとるよ。よう売ってくれるし、なにより華やかでいいしね」 奥さんは片目を閉じ、にやりと口元を持ち上げる。 「休憩いただきまーす。ほら、チビおいで」 奥へ引っ込む際に、アルテナが背中の乳飲み子を貰い受けてくる。これもご城下の子供を相手に、オムツ替えや遊んでやるぐらいは出来るそうな。今も母親から引き離され、むずがる赤ん坊を胸に抱いて揺すっている。 「王子様って、総合職なのね」 言葉の意味がとれずに首を突き出すアルテナだったが、その口に饅頭を入れられ、そのまま手を使わず消費する。表で見せていた気品など嘘のようだ。 かたい饅頭には、今日は砂糖が入っていた。通常は塩と野菜なのに、売り上げ貢献を讃えてか大盤振る舞いである。 この時代、砂糖はとても貴重で庶民が手に入れることはまず無理だった。商店という仕事柄、誰かから貰ったのかもしれない。その大事なものをバイトに食べさせてくれるとは。 聖美は、今朝の鞠香のように残して帰ろうかしらとも思案したが、歯型のついた物を貰って喜ぶ者もいまいと、有難く全部頂戴することにして美味しく美味しくたいらげたのだった。 食べてから考える。歯型の部分だけちぎって残せばよかったかな、と。でもアルテナも全部食べたし、お腹に入ったものは戻らないので、すんなり諦めることにした。そう思ったら、いっぺんに忘れてしまう聖美であった。 |
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